2025年1月の報道によると、自民党の森山幹事長は国民民主党のいわゆる「103万円の壁引き上げ」に対し、「財源の裏づけのない話をしてはいけない。国をおかしくしてしまう」と発言したそうだ。同じく5月の報道によると、林官房長官は「(消費税は)全世代型社会保障制度を支える重要な財源」と主張したという。
さてこの財源論、私にとっては全く意味がわからない。MMT派など信用創造のメカニズムをわかっている人にとっては、そもそも財源を議論すること自体が「実にくだらない」わけだが、私が言っているのはそういう意味ではない。皆様も自民党に対しては、何かもやもやしたものを、例えようのない不快感を感じないだろうか?
そう、自公政権は毎年膨大な財政赤字を出しており、それを国債発行で補填しているのだ。自民党が財源としての国債発行を認めず、その上で財源確保が重要だと本気で信じているのだとすれば、毎年財政収支は黒字になっていなければ辻褄が合わない。他に財源を示せないから、自公政権は大量の国債発行を続けているわけだ。その自民党が、他者には「財源を示せ」とは本当に意味がわからない。しかも、岸田政権下でも財源の裏付けのない一時的な所得減税をやったばかりではないか。汚い例えで恐縮だが、おならを50発したAという男がいるとしよう。これを見たBという男が、私も1発だけさせてもらおうかなと言ったところ、Aに「空気が汚れるので止めろ」と言われたようなものだ。お前にだけは言われたくないと誰もが思うだろう。
本来、自公政権自体が守れていない財源論ではなく、「経済の現状をみるに、どの程度の規模の財政赤字が妥当か」という議論をしなければならない。自公政権が決めた財政赤字は妥当で、国民民主党などが設定した追加の財政赤字は妥当でないのだとすれば、むしろ自民党側がその根拠を示さなければならない。なぜなら、物価上昇により現実に国民生活が困窮しているからだ。別のブログで述べたとおり、経常収支が黒字の状況で歳出拡大を行っても何の問題も生じないというのが筆者の見解だが、そうした経済の現状分析をせずにただ「財源ガー」と叫ぶのはどういうことか。これまでと同じやり方を続けても、失われた30年を失われた40年にしてしまうだけのことで、それこそが後世への最悪のツケ回しであり、無責任そのものである。
なお国債発行の弊害として金利上昇を言い出す人がいるかもしれないが、その議論も賛成しかねる。足元で金利が上がったのは日本銀行が国債を買うのをやめたからで、別のブログで論じた通り、政府がきちんと日本銀行と議論をすればいいだけだ。


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