前回は、生産性について「訓練を通じて縫製の速度を上げたり、生産工程を見直したりするなどの努力をすれば受注量を増やせる」という事例を挙げた。経済成長という観点では、このように単純に生産数量を増やすだけでなく、より価値の高いものを生産できるようになることも生産性の向上と言える。
1時間に1人のヘアカットをできる理容師を例に挙げよう。単価は5,000円とする。「訓練を通じて縫製の速度を上げたり、生産工程を見直したりするなどの努力をすれば受注量を増やせる」という前回の事例に倣うと、例えばトレーニングにより30分に1人のヘアカットをできるようになることが該当する。これで時給は10,000円になる。
ただし、これは需要が増えているときには有効な生産能力向上だが、過疎地で人口がどんどん減っている場合はこんな努力は通用しない。客が増えなければ技術向上は宝の持ち腐れで、手待ち時間が延びるだけである。生産能力が向上したにもかかわらず、客の数が増えなければ時給は5,000円のままであり、客が半減すれば時給は2,500円とむしろ減ることさえあり得る。
では、人口減少局面では生産性を高める余地がないかと言えば、そんなことはない。より高い技術を身に着けて芸能人のようなカッコいいヘアスタイルを提供できるようにし、さらにマッサージの技術を習得したりするなどして高い単価を実現すればいいのだ。ヘアカットのフルコースを2時間・20,000円とすれば、時給は10,000円にアップするうえ、かなり長期間にわたり人口減少にも耐えられる。
しかし、賃金が減少して顧客の懐具合が悪くなればどうだろうか?2時間20,000円のサービスなど需要がほとんど無くなり、結局は元の1時間5,000円に戻すことになるかもしれない。
生産性というのは供給側の議論であるからこそ、供給不足に悩む世界の大多数の国にとり高めることが大事ということになる。ところが日本は需要不足が長引いており、それ故に実質賃金が30年近くも減少を続けている、というのが筆者の認識である。こんな状況で生産性を高める努力をすることにいかほどの意味があるか、以上の議論からご理解頂けただろうか?需要を付ける政策を打ち出してこそ、生産性上昇努力は大いに効果を発揮するのである。
(3)に続く。

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