生産性に関する議論(4)普通に考えれば生産性よりも投資不振が問題(25/10/25岸田氏批判を追加)

マクロ経済(基礎編)

 本シリーズの(2)(3)では、需要が伸びなければ生産性をいくら向上させても結実しないことを説明した。今回は生産性から離れ、資本投入、すなわち設備投資と公共投資について考えてみたい。

 日本では、資本投入の主力たる実質設備投資が長期にわたり低迷している。バブル期ピークの1991年実績と比べ、2024年度は10%も増えていない。日米を比較してみると、日本では異常なほど、無残なほど伸びていないことがわかる。なぜ伸びていないのか?

 (資料)各国統計


 令和4年度の経済財政白書において言及されている設備投資伸び悩みの理由は、挙げられている順に以下の4つである。
(1)期待成長率の低下
(2)世界経済の不確実性上昇
(3)実質無借金に代表される保守的な経営
(4)企業の新陳代謝の停滞(低開業率、低廃業率)
 さて、皆さまはどう思われるだろうか?このうち(2)は日本だけの問題ではないから、国際比較の観点からは省ける。期待成長率が下がっている中では、攻めの経営も開業も困難だから、結局は(1)の期待成長率の低下が根底にあるわけだ。

 期待成長率低下の中で個人消費が唐突に、ひとりでにどんどん伸び、その結果として設備投資が成長軌道に乗るような状況はほぼあり得ない。
 国内経済が先細りでも、輸出主導の設備投資増加というシナリオはあり得なくもないが、そのような機運は高まっていない。市場が成長している国か、労賃が安い国が生産拠点として選ばれているのだろう。トランプ政権の関税政策を受け、輸出企業の設備投資増加にはさらに期待を持ちにくくなった。
 とんでもない技術革新が起こり、その結果として個人消費と設備投資が力強い増加基調に入る可能性はゼロではないが、そんな技術革新は1990年のバブル崩壊から35年待っても起こらなかった。日本人が無能だったり、あるいは日本に雁字搦めの規制があったりするからだろうか?ここではいちいち深掘りしないが、国連、OECD、世界銀行がその手の調査はやっており、そのような思い込みには全く根拠がない。35年待っても起こらない淡い可能性に今後も期待し続けろというのであれば、経済学者やエコノミストは無責任極まりない、経済学はいったい何のためにあるのか、との謗りを免れないだろう。

 そうすると期待成長率を引き上げるには、国債発行の権限を持つ政府が思い切った財政政策を打ち出すしかない。ところが実質公共投資は、小渕政権(1998年7月~2000年4月)の一時期を除き、1995年をピークに2008年度まで減少基調で推移した。この減少を主導したのが、構造改革路線・財政再建路線の小泉政権(2001年4月~2006年9月)であったことは言うまでもない。

(資料)各国統計

 景気重視だった第2次安倍政権(2012年12月~2020年9月)において多少持ち直したものの、岸田政権期(2021年10月~2024年10月)は再度低迷している。筆者はこれまでに何度も、全く褒める点のない岸田氏の経済政策を酷評してきたが、景気低迷期に公共投資を抑制するという愚かなこともやっていたのである。2023・24年のアメリカの実績と比べれば、コロナ禍が理由にならないことは自明だ。
 手元にあるデータを見ると、2024年度の実質公共投資は、統計改定があったので単純比較はできないとはいえ1980年代の全ての年を下回っている。おそらく1970年代の水準なのだろう。日本人が無能とか日本だけに雁字搦めの規制があるとの主張には根拠がないが、日本が公共投資を極度に削減した国であることは厳然たる事実である。日本が世界に類を見ない低成長国である原因を、この点に求める方が無理がないと思うが、いかがだろうか。

 今回言いたかったのは、生産性を云々する前に、経済学者やエコノミストはなぜ「設備投資低迷下での公共投資激減、1970年代水準までの低下」というマクロ経済運営を問題視・疑問視しないのだろうか、という点である。筆者は何も難しい話はしていないわけで、これでまともに経済成長すると思う方がおかしいのではないか?

 こんな状況であるにもかかわらず、低成長は労働者のせいだと言わんばかりに、リスキリングなどと言いだしたのが岸田文雄氏である。筆者は、このような主張は極めて愚かしいと考えている。

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